8月29日(金)
堅苦しい? タイトルはさておき、この日は急遽観音へ。道中、いつ廃車になってもおかしくない広島バス127号と離合。そして観音某所へ。人魚がLED化された例のやつ。
そしてさっそくメイン登場。羽田京急バスから移籍してきたノンステエアロスターです。これまで広島地区の広電バスにはPeace号しかいなかっただけに、緑縞々のノンステエアロは新鮮。
平日の夕方だけに、8号線にPeace号ノンステエアロが入っているかなと思ったものの、この日は2運用ともエルガでした。
そして折り返し。ミラーの下についているお守りが目にひきます。
1900番代もあっという間に15台目に。
そしてリア側も。広電バスも着々とバリエーションを増やしている気がします。
8月31日(日)
ここからが本題。所用で北方面へ行くことがあったので、恐れ多くも被災地の様子を目にしてきました。テレビの向こう、パソコンの向こうの世界だけでは嫌だったので。1週間半列車が通らなかっただけで錆びつつあるレール。八木旧道の完全復活までは小型エアロミディによる無料輸送が行われています。
八木地区の可部線。災害の爪痕を感じた半面、実はこの2時間後には試運転列車が通過していきました。
そして可部駅に閉ざされていた105系。到着した時にはすでに試運転の準備が始まっていました。
これまで切符は買えても、そこから電車には乗れなかった可部駅。いよいよ復活です。
といってもまだ運休期間であるのは事実。再びよみがえるその時まで、静かにホームは佇んでいました。
試運転に向けて着々と準備を進めるK-09編成。どうやら可部駅に留置されていた3編成とも交代で試運転に出たようです。
こちらはもう一台のエアロミディ。貴重な地域の脚です。
太田川の河川敷にはこのような警察の休憩所が。その隣でせっせと土砂を処理する重機を見ていると、復興へ立ち向かうスピードに驚かされるばかりでした。
本当の現地の様子を少し遠めながらも目に焼き付け西広島へ。8月最後のこの日は650形の貸切運転が行われました。
そして西広島を発車。思えば、原爆投下の3日後に動き始めた広島電鉄。そして東日本大震災でとてつもないダメージを受けても、運転再開にこぎ着け、地元を沸かせた三陸鉄道。いつの時代もどこの土地でも、鉄道が復興の一つの象徴ではないかと思うばかりです。
・・・やたらでしゃばった文章もここまで。なぜなら夏バテが・・・(滝汗)
そう、今回の貸切はペースが速い&管理人が思いっきり夏バテという悪環境。なので西広島を出ると、一度も追い抜けないまま紙屋町まで追ってやっと捕獲。
そして鷹野橋。車内では同人誌の即売会が行われたそうですが、私はそれどころではないww
今回は西広島→皆実町六丁目→広島駅というのが最初の行程。なので、システムの関係上でいったん千田車庫に入庫。
そして逆光真っ盛りの御幸橋を上っていきます。言うまでもありませんが、当ブログのトップ写真はこの地で撮影しています。
そして皆実町六丁目の左折を撮ってギブアップ。8月最後になってバテました・・・ この後は広島駅→皆実町六丁目→千田車庫→江波だったそうなのですが、それは貸切に参加された皆様&後半戦のみ追っかけに参加された追っかけ隊の皆さんのブログをご覧ください。
最後は650形貸切に流れてしまいましたが、改めて今回の災害で被災された皆様にお見舞い申し上げます。タイトルの通り、今回の出来事は決して忘れません。どのように災害から身を守るのか、災害が起きた後に自分たちには何ができるのか。この教訓を生かしたいと思います。
そんなこんなで、9月1日は「防災の日」です。皆さんも少し防災について考えてみてはいかがでしょうか。
追伸:時を同じくして可部線も9月1日から念願の全線運転再開です。今日も試運転ということで、この灼熱の中で可部~緑井の各踏切に保線員さんが立っておられました。本当にお疲れ様でした。
多くの人のチカラを感じた一日でした。
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