デルタの窓口

2015年11月23日月曜日

修学旅行にて-前編

11月某日

先日、修学旅行で東北&東京に行ってきました。なんと今回の修学旅行は業者のカメラマンが帯同しないということで、写真部 ならぬ放送部の自分に白羽の矢を立てられたのでした。とはいえ、断る理由はなかったので快諾。ついでに職権乱用で鉄要素も混ぜれたので、ここではその鉄要素をお届けします。

スタートはバタバタしちゃって姫路城から。新幹線から見てもやっぱり白すぎるって…w



















8月に閉館した梅小路もだいぶ工事が進んでいました。とはいえ、蒸気機関車館の看板はまだそのまま。



















管理人が上京するたびにいつも雲の向こうだった富士山がついに姿を現わしました♪ (実際は空気の澄んだ秋冬に来たことがなかったのが原因ですが…) 
これには車内の同級も窓に張り付いていました。



















あっという間の4時間で、東京に到着。しかし旅はまだ半ば、ここから東北新幹線で仙台を目指します。



















 途中、福島でつばさを切り離すということで、人生で初めて新幹線の切り離しを見学することに。



















ちなみに新塗装のつばさでした。夏の東京遠征では見れずじまいでしたが、やっと見ることができました。



















昼過ぎに仙台に到着。初日の鉄旅はここまででした。



















2日目。何コースかに分かれるのですが、一番鉄分高めなコースにしました。というわけで、震災学習の一環で三陸鉄道の震災学習列車に乗車します。



















完全にBRTの駅と化した盛駅。こうして変わり果てた姿を見ると胸が痛くなるものです。



















盛を発車してすぐ、街が津波にさらわれてしまったであろう光景が。 本当に建物が残ってないところは残ってないんだと被災地に来て改めて実感します。



















 「震災学習列車」というと少し堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、観光の要素も組み込まれてました。恋愛成就でお馴染み、恋し浜駅では10分ほど停車、自由に散策できました。ちなみに、もともとは「小石浜駅」だったそう。



















今回震災学習列車として貸切ったのは105号。今でこそ釜石のイオンモールの宣伝ラッピングになっていますが・・・ 詳細は後程。



















途中三陸駅でクウェートの援助で新造した700形と離合。我々が乗っている便の前に走った震災学習列車の返却回送のようです。



















南リアス線の味のある駅名標。

























1時間の旅はあっという間で、もう釜石に到着・・・ といいたいところですが、これだけの交通量がある街なのに、辺り一面更地だらけ。正直、いろんな被災地を訪れましたが、この「街なのに街の面影がない」釜石の街並みが一番衝撃的でした。



















書きそびれましたがこの105号、あのあまちゃんでも「トンネル内を走っていたがために津波を免れた車両」として描かれていた、南リアス線で唯一震災を乗り越えた車両です。しかももう30年選手、上り勾配でも力強い走りでした。(ちなみに幕は幕回し中にあえて普代幕で撮りましたw)



















さすがは銀河鉄道の街・釜石、本物のSLはいなくてもSLの雰囲気はあっちこっちに漂ってました。




















2日目はここまで。写真ではあんまり伝わらなかったと思いますが、被災地というのは本当に自らの足で訪れてみて初めて実感が湧きました。被災地の方も口々に「被災地を訪れてくれるだけでいい」とおっしゃっていますから、機会があればぜひ訪れることをお勧めします。
さて、後編に続きます。

0 件のコメント:

コメントを投稿