デルタの窓口

2020年7月25日土曜日

10年分の花火臨

7月第4曜日

GWでフラワー臨のまとめを書いた際、調子乗って花火臨もまとめたいって書いちゃったので、勢いそのままにやります~ (大学のレポートがまだ消化しきれていないですが!!!)

記事を書いている時点では花火臨に関するツイートをほとんど見かけませんでしたが、本来7月第4土曜日といえば宇品の花火大会です。というわけで、そんな記念の日に10年分まとめをどどっといきます。全53枚なので覚悟を。

2010年

まだ年齢も年齢だったので、サマーフェスティバルの大抽選会ついでに親について来てもらって軽く撮影へ。この頃は旧型も軽快も関係なく定期・臨時に突っ込んでいた印象です。1900形の7港とかもありました。

特筆事項としては、(確か)紙屋町西始発の江波車の3港。臨カンがつくのが検査明けとの違いでした。


2011年

運用番号をデカデカと掲示する文化が始まったのはこの年でした。


この年1番の謎は、検査絡みでもないのになぜか1単に入った当時江波所属の1912号。1900形のトレードが激しい今となってはそこまで希少でもないですけどね…(苦笑)


7港にはうまみがたっぷりこと804号が。翌年の7港にも抜擢されています。


2012年

江波車の中でも900形が来ると宇品線の雰囲気が一気に変わります。花火臨名物・県病院前の平面電停から。

1000形導入を翌年に控えたこの年、3000形を撮るには全盛期でした。1号へ5号へとにかく引っ張りだこ。

いまや江波の単車で運転される295運用もこのときは荒手の3950形でした。3950形が6本中5本貸し出されていた時代もあったわけで…


今では海岸通行きの73・74運用もこの頃は7港でした。花火の2時間前には入庫しちゃう運用なので、のんびり花火臨に参戦していると普通に撮り逃す運用の一つです。

ちなみにこの年は広島港で花火と絡めて撮っていました。広電のカレンダーか何かに影響されて来ましたが、コンデジで撮るには微妙な場所でした。。。


2013年

貸出で車両不足になるため、年によっては土曜日ながら3100形が動きます。この年は西広島1番線に入ったので留置中のところを。今では撮れないアングルになってしまいました。

この年は千田時代からつけていた全労済ラッピングのラストイヤーでした。青幕と似合うデザインだけに花火臨でも被られながら記録。


ここ数年の花火臨5号は1900形とLEXパラダイスですが、この時は750形がまだまだ元気にしていました。


さらにはおイモさんも。思えばこの頃は今よりも派手な広告が多かったですね。


この年の目玉は最新鋭のクルマによる7港でした。ちゃんと2本とも入れてくるところがさすがです。


一方で3900形の5号臨はこの年が最後。そういえばこんな広告もありましたねぇ。


いまや花火臨名物の「終」。この頃から付け始めた気がします。


2014年

花火臨の宮島線と言えば3100形も外せないですが、いまや地蔵と化しているこの初期車たちも花火臨ではバリバリでした。(7月上旬までたいてい車庫で死んでいるのに…)

横川駅始発の7港には2年連続でピッコローラが。


1000形の増備が回りに回って花火の5号臨は1900形だらけに。


この年から3800形が5号臨の主役になりました。よりによって花火臨では貴重な2号線の3950形と並んで。


この年は海岸通の臨時電停の位置が当たりでした。


おかげでフィナーレにはこんな光景も。ここ数年は停止位置が数メートル移動して、画像左側にコインランドリーが出来たりと、花火と絡めるには少し手厳しい場所になっちゃいました。


この年の注目は検査上がりの913号。結局朝からずっと3号線でした。


からの3005号の皆六止め。関係ないですが、駅方面へ向かう車の渋滞が花火のすごさを物語っています。


2015年

2年連続で的場町始発の5港に582号が入りました。的カンが反対側にしかないのが惜しいとところ。


完全に自己満ですが、651号の臨カンつき1港。なんだかんだ花火臨でしか撮れない組み合わせです。


この年の目玉は海岸通⇔紙屋町ピストンを脱出して暴走する3955号。0→3→5→1で千田系統コンプリートでした。


七夕ラッピングがLEXに移行した年でしたが、ちゃんと臨時便に突っ込んできました。(相方は的場町始発便へ)

n個目の花火臨名物。電車が多すぎて電圧が下がるので、こんな省エネ電車も走っていました。この年は特に電圧が頻繁に落ちていた気が…


皆六止めには彦星LEXが。定期便は原則軽快車なので、実は貴重だったりします。


その後続には江波から押し出されてきた1911号の皆六止め。この年はこれ以外にも2本の皆六止めが設定され、例年以上に走りました。


2016年

フラワー臨が大当たりだったこの年、花火臨の方は結構ぬるっとしていました。

3950形のLED化が始まった時で、ついにLEDの0海岸通が見れる! と思った矢先、結局貸し出されたのは幕車だけでした。


今思えば発狂物の3000形原色続行。


そういえばこんな広告もありましたね。ちなみに806号の7港は、7電の定期便が勢い余ってそのまま広島港まで延長運転されているやつです。


内容の薄い年ながらヲタを驚かせたのが通称「ウニだー事件」。皆六止めの終電が行った後に接近表示があったので待ってみたら3004号の、それも宇二止めが来たという、怪談話みたいな事件でした。


ちなみに3004号の後には"本当の本当の終電"こと801号の皆六止めが来ました。


2017年

この頃から1号臨に朝だけ電車を入れるという風習が根付いてきた気がします。


おかげでこんなことにも。


この年はとにかく雨の印象でした。スコールの中走る3000形を綺麗に撮りたかった…


この年の注目は宇二始発の臨時便たちでした。皆六定点していて、さっき下った回送がもう帰ってくるんだからそりゃびっくりですよ。


2年連続の「ウニだー」に期待していると続々と回送が。例年は終電の発車後に広島駅に着いた電車を紙屋町経由で入庫回送しているのですが、どういうわけかこの年だけは皆六経由でした。画像の3702号は花火臨前日に試運転して3か月ぶりに千田の運用に復帰した曰く付きのクルマ。


2018年

まさかの打ち上げ開始8時間前に花火大会中止宣言。まあ台風が近かったのもあって仕方ないのですが、だとしても朝にはせめて…
花火臨自体は溶けましたが、残骸を回収していました。まずはこの年から始まったLEXの車号サボ。(そりゃ車番フォント更新したくなるわな…)


例年昼前に貸し出される荒手3700形は、中止宣言が出るや爆速で荒手に戻っていきました。


3700も帰ったし終わりかなぁと思ってると、臨時ダイヤを戻せなかった3号線が。写真は西広発の終電が出た後に到着したため回送で千田に戻る1903号。


2019年

2年ぶりの花火臨は待ち焦がれたLEDの0海岸通からスタート。

今や1号線に入ること自体がレアになってしまった3000形ですが、去年の花火臨では大車輪の活躍でした。


7号線が千田管轄になったため、7港も千田のクルマに。650形の7港が見れる花火臨もそう先のことではないかも…?


とはいえ、番号付きの臨時便は変わらず江波持ちでした。


(あと数分早ければ3000形だったのに…) の図。


今やどっちも荒手車ですがこんな光景も。


この年の終電は353号でした。今思えば、1年前の花火臨で日付越えるまで走り回っていたクルマがちょっとやそっとのことで死ぬわけないんですよね…(笑)

量が量なので駆け足になりましたが、とりあえず花火臨の10年はこんな感じでした。今年花火臨があれば350形のW6号に3900形7年ぶりの5号臨か…? などと妄想は膨らむわけですが、次の花火臨の楽しみに取っておきたいと思います。ではでは。

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