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2025年7月21日月曜日

富士山登ってみた

8月12日(月)




GWに縄文杉(という名の宮之浦岳)を登った時から意識はしていましたが、20代のうちに富士山を登りたいという目標があったので、このお盆に行ってきました。
宮之浦縦走できたなら行けるだろうということで、あえて御殿場ルートで登っていきます。

前日に御殿場まで前乗り。翌朝ホテルに荷物を預けて登山口に向かいます。

奥のプレハブで受付を済ませます。事前登録していなければ登山前にプレハブ内で動画視聴しないといけないという、下調べしてない勢への対策が徹底された仕組みです。
当時は協力金1,000円でしたが、2025年から入山料4,000円に変わったらしく、今後もややこしい制度改定は想定されることを思うと、登るなら早いうちに尽きますね。。。

それにしてもよく晴れました。山頂だけ雲がかかっている富士山はこの時期に何度も見ていますので、最後までこの青空のままとは思ってもいませんが…(笑)


8:15 新五合目を出発。ここ半月ほど色々な方の登山記を眺めた結果、6時間で山頂を目指すことにしました。(公式所要時間は9時間、日帰り登山が推奨されていないコースですのでその点は悪しからずです)

いい感じの看板と。このあたりから上下のルートが分かれます。

1時間ほど歩くと山頂は霧の中に。先が見えない中で黙々と歩き続けます。


9:20 2,000m地点通過。結構ハイペースで登っているつもりではいましたが、500mLペットボトル2本分ぐらいしか持っていないであろう手ぶらのおばさんに追い抜かれました。あの人何なんだったんだ…


さらに10分ほど進むといよいよ斜面を駆け上るエリアに。それなりに登山客がいるので人がいるところがコースと分かりますが、閑散期に登るとロストしてもおかしくはないぐらい何もないですね…

上の写真からさらに10分後。突如として晴れました。本当に富士山の天気はよくわからないですね。。。

10:35 新六合目。標準所要時間235分に対して140分なので悪くはないペースです。昼食休憩も加味して登っていきます。

六合目地点から宝永山。再び雲の中から抜け出しました。

11:38 3,000m地点通過。
他の山と違って人は周りにたくさんいるので、野生動物の足音とかを気にする必要がないのがありがたいです。曲のプレイリストを何パターンか用意して、聞き飽きたらしばらくイヤホン外して歩いて、気が向いたらまたイヤホンをしての繰り返しでマインドを保ちます。


11:45 七合目通過。このあたりで3時間ぶりに上下のルートが合流します。


山小屋に有料バイオトイレがありました。案内文が少し尖っていて面白いです。

赤岩八合館で30分ほど休憩しカレーを摂取。1,300円でしたが、標高3,300mで食事できる体験料込みと考えたら安すぎるくらいでしょう。

12:58 8合目地点を通過。n合目換算で行くとまだまだな感じがしますが、標準所要時間でも山頂まで残り90分ほど。ラストスパートです。

海外経験がないので自分にとって、言わずもがな今日が人生史上最高地点に到達する日。なのでここからは高山病を発症しないかどうかとの戦いでもあります。結果的には耐えましたが、3,700m過ぎたあたりから脳への酸素量が少なくなっている実感はありました。4,000m超の場所に行くときには注意ですね。

13:52、ついに道の先に鳥居の姿を確認。すなわち火口の淵まで到達したことを意味します。
この時ばかりは目頭が熱くなりました。

もうここまでくればウイニングランです。ゴールは右上に見えていますが、その手前にえげつない斜面が見えたので一息つきます。

5分ほど休んで最後の関門に挑みます。最難関と言われた御殿場ルートでしたが、転びそうなほどの急斜面はなかったので、最後の最後にステッキ不可避な斜面に出くわした格好です。
…まあ比較的角度の緩やかな端を辿ってノーステッキで突き進みましたが…


斜面を駆け上がった先から火口を見下ろして。
富士山と言えば青と白のイメージですが、やはり近づいてみればれっきとした火山ですね。

14:16 ついに登頂しました。ふたを開けてみれば新五合目を発ってほぼ6時間、順調にたどり着くことができました。

伝説の気象観測所。人生でもう一度はこの地にたどり着きたいですね

大変恐ろしい話ですが、新五合目から御殿場駅に戻る最終バスまで3時間を切っています。
というわけで、ここからは爆速山頂観光のはじまりです。

とりあえず浅間大社の奥宮にお参りしました。あくまで富士山は世界文化遺産なので、このあたりの宗教的なイベントはちゃんとやっておきたいところ。


郵便局も物色しようとしましたが14時まででした。8時間営業とはいえ特殊過ぎる…


14:50 山頂限定のお土産を買い漁ったところで、下山開始です。17:10のバスを目掛けてひたすら下山します。

一時間弱で七合目地点を通過。ここからは上下でルートが分かれ、下りルートはかの大砂走りに突入します。

先客の足元に砂ぼこりが舞っているのが分かるように、丸くて細かい砂でくるぶしぐらいまで浸かってしまうのですが、それ以上に下り勾配がきつすぎて、足が埋まりかけているのに勢い余ってものすごいスピードで駆け下りれてしまう恐ろしいゾーンです。(何言っているか伝わらない方は富士登山駅伝をご覧ください)


遥か彼方に上りコースが見えます。立ち止まってしまいそうなくらいのスローペースで登っていたのも遠い昔。
逆に今は絶景が目に飛び込んできても勢い余って数十メートル進んでやっと止まれるような爆速で突き進んでいます。

なんとか足を止めて一枚。雲の中を抜けると突然御殿場の街並みが眼下に飛び込んできました。ここまでですでにえげつない疲労が蓄積されているはずですが、この景色で本当に疲れが吹っ飛びました。


御殿場の街をクローズアップして。感覚がおかしくなりそうですが、まだ標高2,300mぐらいあったはずです。


結局のところ、山頂の奥宮から勢いそのままに105分で新五合目に帰還。2,200mを2時間弱で駆け下りた計算になります。非日常的なシチュエーションになると、人類のポテンシャルは自覚している以上に高いものが発揮できるのかもしれません。(そのうち痛い目に遭いそうですが)

感想ですが、一生に一度で満足してしまうにはもったいない場所だなと思いました。お鉢巡りもちゃんと時間を確保してやりたいです。次は須走ルートですかね… 誰か友人を連れて吉田ルートでもいいなとは思っています(笑) ではでは。

南大東島の軌道を往く

7月6日()




金曜日に沖縄出張とかいう「どうぞそのまま旅行してください」みたいなイベントが発生したのでちゃんと遊んできました。関係企業と8時間飲み倒した翌朝ですが…

7時半の那覇空港へ。ハブ空港にしては人が少ない朝特有の雰囲気が好きです。

那覇から真東へ50分、海しかなかった景色の中に突如伝説の島が姿を現しました。
一度北大東の上空を旋回して着陸します。

沖縄本島から東へ350km、ついに南大東島へ上陸しました。広島から東へ350km行くと滋賀の草津、いかに絶海の孤島かが伝わると思います。


ターミナルの外へ。皆さんは人生で大東島に降り立つ世界線を思い描いたことはありますか? 僕はこの前までなかったです。((


レンタサイクルを借りて空港の外に出たところでさっき乗ったQ400が離陸。滑走路と道路の境目あたりのはずですが、もうただのサトウキビ畑です。


少し先に進むと闘牛場が。完全に荒廃していますが、調べると竣工したのは意外にも昭和末期。もはやだれが何のために作ったかもわからない施設です。


南大東島までやってきた理由がこれ。日本最南端の廃線跡を巡っていきます。


1983年に廃止されたシュガートレイン。すでに廃止から40年以上が経っていますが、島のいたるところに遺構が残っています。

本土と違い、道路との交差部分だけ埋めかけの線路が残っている状況でした。逆に交差部分以外は剥がしやすかったからか線路等はきれいさっぱり残っていないです。

島の中心部に移動すると国民運動場の文字。改めてすごい場所だ…

島の西側にある廃線跡。現役時代は離合ポイントだったようです。説明文の文体がごちゃ混ぜなところがお手製感溢れています。

その十八号集積場跡。奥の石段はホーム跡ということでしょうか…?


とりあえず一周して北東の九号集積場跡。ここが一番きれいに軌道が残っていました。
廃線跡の探索と言えばGoogleマップでストリートビューが欠かせないですが、この島は西側の一部を除いてデータがない状況。令和のこの時代に自らの脚でしか廃線跡を辿れないのが本当に感慨深く浪漫に溢れています。

せっかく島の外れまで来てしまったので、その足で近くの観光地へ。ドストレートなネーミングが島らしくてよきです。

見どころとしては、断崖絶壁の岩壁の間に1本の大木が映えています。そもそも人類が入植して120年ちょっとの島なので、この程度の大自然はいくらでもある状況です。

ハイビスカスが咲く坂道を下って港へ。ここは桃源郷か…?

北港にやってきました。例の下船用クレーンがスタンバイしていました。

島の中心に戻ってシュガートレインが保存されているふるさと文化センターへ。沖縄にSLがいる…

運転席。日本屈指の台風街道で晒されているのもあってか、車両の状態はだいぶ厳しいものでした。実際内陸側も塩害の被害があるようです。

ディーゼル機関車に関しては原色が分からないレベルの姿に。おそらく壷川公園のと同じ水色だったのでしょう…


客車と貨車も保存されています。こんな離島に5両も保存車が残っているのが素晴らしい…

当時の路線図。意外と支線が充実しています。


保存基地の少し北側にあった怪しい建屋。ヲタクの勘でとりあえず写真だけ撮っておきましたが、帰広して確認するとやはり当時の機関区を流用しているようです。場所からして移築でしょうか。こればかりはテンション上がりました。

7月の南大東島、道端に頭おかしくなるほどカエルが転がっています。しかも大半が死体。カエルが生きれる暑さではないでしょこれ…

かくいう自分も暑すぎて瀕死状態なので涼を求めて星野洞へ。昼休みの間は施錠されているというクセしかない洞窟です。

午後一番の客だったので、解錠してもらって洞窟へ。島一番の観光地ゆえか、上り用の歩行アシストベルトまで設置されています。

通路を降りると想像以上の鍾乳洞が広がっていました。ここ本当に沖縄の離島…?

200年前まで地図にすら載っていなかった島なので、島の発見から鍾乳洞発見までのスピードがエグいです。本当に何なんだこの島。

下まで降りてきました。受付時に言われたのですが、直近で鍾乳洞に頭をぶつけて救急搬送された人がいるようで… 本当に怖い話オブザイヤー決定です。

肝が冷えたところで、洞窟の地底まで到達。泡盛がキンキンに冷やされていました。
だいぶ広い洞窟なのが伝わったかと思いますが、すれ違ったのは1人だけでした。異世界に転生した感覚。

島の中心に移って大東神社。八丈島からの移民が最初に住んだこともあり、宗教は本土と変わりないです。

無事に帰広できるよう安全祈願。島を一周して洞窟を下って山を登って、もう完全にクタクタです。


神社の周辺はコウモリの森だそう。さすがに昼間にはいませんでしたが…

島唯一の信号。交通教育用なので漏れなく小学校の目の前に設置されていました。

というわけで空港まで帰還。
乗るか迷いましたが、北大東との三角運航の廃止間際でした。帰りはその三角運航で北大東から来た便で沖縄に戻ります。


展望台に上がると丁度着陸するところでした。


日本は狭いもので、ここからこの日のうちに広島まで帰宅。金さえあれば普通の土日が来れちゃいますね。余談ですが、全治2週間レベルで日焼けしました。。。

とはいえ、また来たいと思わせるロマンしかない島でした。次はもう少しシュガートレインを勉強してから来ます。。。