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2025年7月21日月曜日

南大東島の軌道を往く

7月6日()




金曜日に沖縄出張とかいう「どうぞそのまま旅行してください」みたいなイベントが発生したのでちゃんと遊んできました。関係企業と8時間飲み倒した翌朝ですが…

7時半の那覇空港へ。ハブ空港にしては人が少ない朝特有の雰囲気が好きです。

那覇から真東へ50分、海しかなかった景色の中に突如伝説の島が姿を現しました。
一度北大東の上空を旋回して着陸します。

沖縄本島から東へ350km、ついに南大東島へ上陸しました。広島から東へ350km行くと滋賀の草津、いかに絶海の孤島かが伝わると思います。


ターミナルの外へ。皆さんは人生で大東島に降り立つ世界線を思い描いたことはありますか? 僕はこの前までなかったです。((


レンタサイクルを借りて空港の外に出たところでさっき乗ったQ400が離陸。滑走路と道路の境目あたりのはずですが、もうただのサトウキビ畑です。


少し先に進むと闘牛場が。完全に荒廃していますが、調べると竣工したのは意外にも昭和末期。もはやだれが何のために作ったかもわからない施設です。


南大東島までやってきた理由がこれ。日本最南端の廃線跡を巡っていきます。


1983年に廃止されたシュガートレイン。すでに廃止から40年以上が経っていますが、島のいたるところに遺構が残っています。

本土と違い、道路との交差部分だけ埋めかけの線路が残っている状況でした。逆に交差部分以外は剥がしやすかったからか線路等はきれいさっぱり残っていないです。

島の中心部に移動すると国民運動場の文字。改めてすごい場所だ…

島の西側にある廃線跡。現役時代は離合ポイントだったようです。説明文の文体がごちゃ混ぜなところがお手製感溢れています。

その十八号集積場跡。奥の石段はホーム跡ということでしょうか…?


とりあえず一周して北東の九号集積場跡。ここが一番きれいに軌道が残っていました。
廃線跡の探索と言えばGoogleマップでストリートビューが欠かせないですが、この島は西側の一部を除いてデータがない状況。令和のこの時代に自らの脚でしか廃線跡を辿れないのが本当に感慨深く浪漫に溢れています。

せっかく島の外れまで来てしまったので、その足で近くの観光地へ。ドストレートなネーミングが島らしくてよきです。

見どころとしては、断崖絶壁の岩壁の間に1本の大木が映えています。そもそも人類が入植して120年ちょっとの島なので、この程度の大自然はいくらでもある状況です。

ハイビスカスが咲く坂道を下って港へ。ここは桃源郷か…?

北港にやってきました。例の下船用クレーンがスタンバイしていました。

島の中心に戻ってシュガートレインが保存されているふるさと文化センターへ。沖縄にSLがいる…

運転席。日本屈指の台風街道で晒されているのもあってか、車両の状態はだいぶ厳しいものでした。実際内陸側も塩害の被害があるようです。

ディーゼル機関車に関しては原色が分からないレベルの姿に。おそらく壷川公園のと同じ水色だったのでしょう…


客車と貨車も保存されています。こんな離島に5両も保存車が残っているのが素晴らしい…

当時の路線図。意外と支線が充実しています。


保存基地の少し北側にあった怪しい建屋。ヲタクの勘でとりあえず写真だけ撮っておきましたが、帰広して確認するとやはり当時の機関区を流用しているようです。場所からして移築でしょうか。こればかりはテンション上がりました。

7月の南大東島、道端に頭おかしくなるほどカエルが転がっています。しかも大半が死体。カエルが生きれる暑さではないでしょこれ…

かくいう自分も暑すぎて瀕死状態なので涼を求めて星野洞へ。昼休みの間は施錠されているというクセしかない洞窟です。

午後一番の客だったので、解錠してもらって洞窟へ。島一番の観光地ゆえか、上り用の歩行アシストベルトまで設置されています。

通路を降りると想像以上の鍾乳洞が広がっていました。ここ本当に沖縄の離島…?

200年前まで地図にすら載っていなかった島なので、島の発見から鍾乳洞発見までのスピードがエグいです。本当に何なんだこの島。

下まで降りてきました。受付時に言われたのですが、直近で鍾乳洞に頭をぶつけて救急搬送された人がいるようで… 本当に怖い話オブザイヤー決定です。

肝が冷えたところで、洞窟の地底まで到達。泡盛がキンキンに冷やされていました。
だいぶ広い洞窟なのが伝わったかと思いますが、すれ違ったのは1人だけでした。異世界に転生した感覚。

島の中心に移って大東神社。八丈島からの移民が最初に住んだこともあり、宗教は本土と変わりないです。

無事に帰広できるよう安全祈願。島を一周して洞窟を下って山を登って、もう完全にクタクタです。


神社の周辺はコウモリの森だそう。さすがに昼間にはいませんでしたが…

島唯一の信号。交通教育用なので漏れなく小学校の目の前に設置されていました。

というわけで空港まで帰還。
乗るか迷いましたが、北大東との三角運航の廃止間際でした。帰りはその三角運航で北大東から来た便で沖縄に戻ります。


展望台に上がると丁度着陸するところでした。


日本は狭いもので、ここからこの日のうちに広島まで帰宅。金さえあれば普通の土日が来れちゃいますね。余談ですが、全治2週間レベルで日焼けしました。。。

とはいえ、また来たいと思わせるロマンしかない島でした。次はもう少しシュガートレインを勉強してから来ます。。。

2023年8月27日日曜日

可部路を駆ける

6月18日()



溜まりに溜まった写真整理と部屋の片づけをしていると某S氏からドライブの誘いを受けて北西へ。全国お出かけヲタクになってしまった今、自分一人でこっちの方向に行こうとはなかなか思わなかったですね。

消費税5%時代の残り香。


時刻表も当時のままでした。20年も前になると、末端区間がどれぐらいの運行間隔だったか記憶から思い出せなくなっちゃいましたね…

お久しぶりキハ58。野ざらしなのでそれなりに痛んでいますが、全国の58に比べたらまだ綺麗な方かもしれないですね。


妻面も。もうじき西日本中に転がる大量の国鉄型キハを置き換える時代が来るわけですが、キハ58系と373系あたりを足して2で割った令和の急行型車両がちょっとは欲しいですね。


安野駅前のトンネルを往く広電バス。ここからバスセンターまで1時間20分、まあまあな距離です。


続いて加計の28へ。こっちは屋根の下かつ手もだいぶ入っているので、現役さながらの美しさでした。


加計はホームも申し訳程度に残っていました。


ついでに温井ダム。小学生のころ来た時は町からだいぶ離れていたイメージでしたが、距離ガバ移動しまくったこの歳になってくると一瞬でしたね。


ダムのキャットウォークに降りる階段。無機質な造形美が逆に心くすぐられます。


ついでに三段峡。すっかり何もないバス乗り場になってしまいましたね。


まだ紅葉のシーズンでもないからか、このあたりの売店も荒んでいました。近くの旅館は繁盛していましたが。


駅前の案内看板には当時の面影が残っていました。可部線は生きている…!


たまには過去写真でもということで、廃止2ヶ月前の三段峡。奥のクルマはバリバリ現役のキハ40 2045です。

ついでのついでで井仁の棚田へ。さっきの案内看板で見つけるまで、存在すら知りませんでした。

ちなみに井仁地区は集落の両側が大型車離合困難な山道。シンプルに秘境でした。


最後はそんな山道も霞むぐらいの酷道ツアーへ。まずは島根側が永遠に閉鎖されている488号線。


からの434号。詳しくはストリートビューをご覧くださいなのですが、山口県に入った瞬間に道幅とアスファルトの質がグレードダウンしていました((


最後は488号線の吉和→湯来!
同じ広島市にこんな酷道があることはもっと知られてもいいかもしれないですね。

酷道過ぎて青おにぎりすら全然ないのですが、2か所だけ見つけたおにぎりで一枚。ツーリングぐらいが丁度いい道幅かもしれないですね。


酷道区間の終点。この先は湯来ロッジの前と同じぐらいの道幅になります。


上の写真のそばにあったいろいろ欠けた看板。わし呪われるんちゃうか。


ついでとは何かを考えさせられますが、せっかくだったので府中ニュータウンへ。久々にこの夜景を見たくなってきた感じです。


団地坂と広島の夜景。神戸ほどの華やかさはないですが、山に囲まれた三角州の夜景は立体感があって、もっと評価されてもいいのではと思っています。


そういえばですが、一眼レフを新調しました。
展示品のボロボロKissX7から、R10へグレードアップしたので、ぼちぼち写真の質が上がってくると思います。知らんけど。